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[二つ折りの恋文が花の番地を探している]
というジュール・ルナールの言葉がある。

これってなんのこと?
探しているのは誰?
そして何回も読みなおしてみる。
花の番地?二つ折り?
あっそっか 
蝶々の羽だ!

たった一行の文章から
わたしの思いはひらひら菜の花畑に飛び始める


いちめんのなのはな 
いちめんのなのはな 
かすかなるむぎぶえ 
いちめんのなのはな


…そうして 山村暮鳥の詩までイメージが広がり
突然、目の前に一面の真っ黄色の菜の花畑が・・・

言葉って不思議。
言葉によって喚起されたイメージは、
次々に連想を生み、
わたしを新たな世界に連れて行く。
これは単に絵空事ではなく、明らかに現実を超える現実

どうしてこんな不思議なことがおこるのでしょうか?
この疑問を解くカギは、「文字」ではなく人間の心のはたらきにあるのです。
犬に本を見せてもなにもわかってはくれません。
猫にこんな文を読んで聴かせてもにゃ~っていうだけです。
日本語を理解しない人に見せても同じでしょう。
そう!
その言語を理解する人間の心が高度なはたらきをして、
記号である文字の羅列にすぎない文から、その人なりの意味を引き出すのです。

サマセット・モームの本の中に「かしこい旅行者は空想だけで旅をする」という言葉がある。
「読む」ということは、居ながらにして旅をすること。
部屋に座ったままで、未知の世界を知り、現実にはありえないような世界を訪れ、
ありえないものたちとも語り合う。
紙の束でしかない本を宝の山と思えるかどうかは
すべて人間の心(脳)のはたらきにかかっているのです。

図書室にはあなたを待っている一冊の本があります。
あなたの心のはたらきによって、あなたの内的な世界を広め、
あなたと共に生きようという本がきっと             
…あなたが手にしてくれるのを待っています。
その一冊と巡り会えるかどうかは、
ひょっとすると恋人に出会えるかどうかと同じように
難しく不可思議なものなのかも知れません。



いつもこうして
図書室への誘いばかり考えて生きていた日々を
いまだ忘れ去ることができずにいる

今日も気がつくと
地域の図書館の児童コーナーにいた
「魔女のいる教室」大石真:作
を手にして、あっという間に読み終わっていた

その間
わたしは全く別世界にいる
心は子どもになっている
学校に長くいすぎたな
でもこれがわたしの生き方なんだ

夢中になれる一冊の本があれば
少なくともひとりで生きていける

そんな一冊を求めて
今夜は何を読もうかな