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小紫式部の色の深まりとともに秋は過ぎてゆく

今日は移動時間の途中でお茶する時間があった
喫茶店の喧噪のなかで
姜尚中(カンサンジュン)さんの「在日」を読む

<なぜ わたしは”在日”として生まれてきたのか
       一世たちはどうしてこの日本にいるのか>


この素朴な疑問に
だれがきちんと答えられるだろうか



80年代、戦争を許さない女たちの会で
高さんというすてきな女性にであった

仲間の授賞式の日
彼女はきれいにチマチョゴリを着こなしていた

背が高くはっきり自己主張する彼女は
いつもみんなの中心だった

わたしたちは同じ町に住んでいた
彼女と同じトートバックを持っていることが
急速にふたりを近づけた

町で何度か出会った
彼女は韓国家庭料理店を弟さんとふたりで営んでいた
職場の歓送迎会で何回かお世話になった

大蒜の香りの強い蒟蒻の炒め煮の味を、まだ覚えている

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80年代、わたしは指紋押捺に反対する人たちと区役所にいた
学校には「朝鮮人は国へ帰れ」と叫ぶ少年がいた
彼は在日二世だった。彼の心の屈折に絶句した


 あの子を含めた子どもたち数人で
 朝鮮人学校を訪問した

 なぜ朝鮮の人が日本にいるのか
 わたしの知りうるかぎりの話をした

こんな授業をする廊下には
目付役の同僚が聞き耳を立て
校長にチクッていた

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そんなある日、かの高さんから重い手紙が届いた
彼女の心のつらさが書かれていた

言葉を選んでわたしは返事を書いた
しかし彼女のこころに届かなかった

 たった一輪庭に咲いた薊
 その花がどんどん力をなくしていく
 その姿を見ながら

この薊のようにすくっと立ち気高い精神をもつ彼女が
なぜわたしにあのように心の内を吐露しなければならなかったのか
と、また考える


<それにしても、過去のしがらみがこれほどまでに重いものだとは・・・ときおりため息がでてしまう>

<植民地支配という心身に及ぶ深い「精神的外傷」をこおむった民族がそのトラウマを必死になって除去しようと格闘しているにもかかわらず、その苦渋に満ちた葛藤のドラマにいささかの痛みも共感も抱くことのない「加害者」がいるとすれば、その「加害者」に向けて新たにナショナリズムの神話をねつ造して自分たちを主張したいという誘惑に駆られることは、決して理解できないわけではない>


姜尚中の「在日」のなかのこの文章に出会った瞬間
これなんだ、高さんのこころのなかで悶々としていたものは

こうした加害者にであって、心がきりきり痛んでいたのだ
とわたしは歯噛みする

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<韓国や北朝鮮のナショナリズムはすべてみな、そうした願望を反映している。そのようなナショナリズムへの反発から「加害者」はより排他的になり、ひたすら自らの心地よい記憶だけに立てこもろうとするのだ。ここに日本と朝鮮半島との深いミゾがある。そして「在日」は、そのどちらかに帰属すべきか、絶えず二者択一を迫られ、不安に脅えなければならない。しかも同じ民族でありながら、南北に分断されているのだから、話はもっと複雑だ>

そうなんだよね
これだけ複雑な在日の高さん
具体的には書きようがないほど
悩みは深かったのだろう

それでも書かずにいられなくて・・・
それをちゃんと理解して受け止め
ボールを返せなかったわたし

それから数年後、彼女は癌を宣告された
彼女の生き方は潔かった

自分の死後のことも、きちんと自分で始末した
財産はすべて、お世話になった劇団に寄付した
一時退院の日、町で彼女にあった
いつものように明るく微笑んでいた、あれが最後だった

彼女が住んでいた場所には今はマンションが建ち
劇団関係の人が出入りしている

近くにあるラーメン屋さんにいくと、ときおり劇団の人にあう
その話を遠くに聞きながら彼女を思う


<エドワード・サイードは「知識人とは何か」の中で知識人とはつねにアマチュアであると言い切っている。・・・父や母が「在日」になったとき、彼らはアマチュアとした生きていかねばならなかった。フツーの日本人が知っていることがわからない、完全なアマチュアだった。・・・「在日」とは、多数者の日本人、言ってみれば「インサイダーとしての日本人の中にどっぷりと浸からず、どこかで「アウトサイダー」的な面を保ち続けていることを意味している。・・・そう思えば、父や母、おじさんたちには、ただ悲哀があっっただけではない。底なしに明るい笑いと屈託のないたくましさがあった。それはきっと、そうした歓びとどこかで通じ合うものだったに違いない。」>

そう。わたしは高さんによく叱られた
夫のことを「うちの主人が・・・」と言ったとき

在日の人にとって「主人」という言葉は
どれほど重いものだったか
主人と奴隷か

戦時中、日本に強制連行され
たこ部屋のようなところで重労働させられ
ろくに食事も与えられず、見殺しにされた多くの一世


<非力な少数者の悲哀。それが、わたしを苛んだ。きっと一世たちもそうだったにちがいない。自分たちの境遇を恨めしく思っても、どうすることもできない現実。地団太を踏みながら天を仰ぎ「アイゴー(哀号)」と泣き叫ぶ母や一世たちの姿が何度も浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。彼らの心の奥深くに仕舞いこまれた悲哀の情はどれほど深かったろう。わたしはやっと彼らの悲しみ深さを身をもって知るようになったのである。>