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赤毛のゾラ
クルト・ヘルト
酒寄進一 訳
朝倉めぐみ 挿画
長崎出版
 



 

 

 

江戸川中央図書館でこの本に会う
「長くつ下のピッピ」のモデルと言われる
「ゾラ」が活躍する物語

ゾラたち「ウスコックの戦士」と共に
この冬休みが過ごせたことに感謝


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 1992年に渡辺芳子訳で
 この日本語訳が出ていた
 が、長く絶版

 

それが・・・2009年
クルト・ヘルト没後50年にあたり
「赤毛のゾラ」は再版された

和光大学表現学部の酒寄進一教授の訳で
多摩美術大学卒の朝倉めぐみさんの
すてきな装画・挿画つきで

本の紹介ほど野暮なものはない

しかしこの本に関して
いろいろな児童文学者や
ドイツ文学研究者が書評を寄せている

で、わたしも記念に書き残しておこう

 物語の舞台は1940年頃の旧ユーゴスラビアの一角、クロアチアの小さな港街セニュ。背後に山の迫る港町の情景を思い描いてください。少年ブランコは母が亡くなり埋葬された翌日、貸家から追い出され「父方の祖母の家に行け」と町の人々に言われる。その祖母は魔女とおそれられる占い師。当然祖母には「泥棒でもしろ」と追い出され、ブランコは空腹に耐えかねて路上に落ちていた魚を拾い、現行犯で捕まって投獄される。一部始終を見ていた赤毛の少女ゾラはブランコを救い出す。かつての街の英雄、義賊ウスコックから自分たちを「ウスコックの戦士」と名乗っているゾラたちに仲間入りすることになる。
 孤児たちは古城に隠れ屋をもち、日常的に盗みをはたらき、大人たちの裏をかき、生きていくため、食べるため、当局から身を守るため、そして権力者の横暴に立ち向かうためにやむをえず、ためらわずに暴力をふるう。ブランコは他人を欺く暮らしに疑問を感じながらも、本来の自分を見失うことなく、次第にたくましく成長していく。そういう痛快な冒険物語かと読み進めていたが、それだけではなかった。

ブランコは12歳。他の子どもたちもそんなもの。いくら彼らには彼らなりのルールがあり、理屈があると言っても所詮浮浪児。彼らにこっそり食物をくれたり、自分の家にかくまってくれたりする大人たちがいなければ、彼らの連帯は早々に挫折していたはずだ。売れ残りのパンをくれるパン屋のチュルチン。色眼鏡なしで扱ってくれるホテルの主人マルチュリン等々。現代からみればあまりに牧歌的なユートピアの世界。

 ぬすみをとがめられたゾラはゴリアンじいさんに「必要なだけしかとらないわ」という。「盗み」は「所有」を保障する社会秩序を破壊する行為。しかしそうした社会から排除されたゾラたち孤児には、生存を賭けた動物と同じように自然の摂理で生きのびるしかない。
 一方、ゴリアンじいさんを追い詰める水産会社のやり口はどうか。「水産会社はすでに漁場を百二十ヶ所ももっている。それでもおれたちの漁場をそのでかい胃袋に飲みこもうとしている。はげ親父のククリッチの食欲には際限がないのさ」とゴリアンじいさんはいう。

 そして・・・クライマックス・・・2巻の24章「市議会」の場面。孤児たちを守ってくれていたゴリアンじいさんが市庁舎に呼び出される。「ゴリアン、きみのところにいるだろう。ごろつきどもをひきわたす用意があるかをたずねるために、きみを呼んだのだ。その気がなければ、きみも同罪とみなし、ごろつきども全員を逮捕するまで勾留する。もちろんごろつきどもといっしょに、きみも裁判にかけるからかくごしたまえ」と市長。まんまとわなにかかってしまったと、じいさんは愕然とする。そこからゴリアンじいさんの正義の演説がはじまる。・・・・感動がじわっと・・・もう単なる冒険物語ではなくなっていた。子どもの人権と自由と生存を保障する物語に・・・。



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作者のクルト・ヘルトについて
 
 本名をクルト・クレーバー
 Kurt Kläber(1897~1959)
 労働者詩人
 プロレタリア文学の作家としてデビュー

 ナチス政権の元で逮捕され
 スイスに亡命
 本の出版を禁じられたことから
 偽名で作品を発表
 そのひとつが、この作品

 妻は、リーザ・テツナー
 アニメ『ロミオの青い空』の
 原作である『黒い兄弟』や
 『67番地のこどもたち』の作者として
 有名な児童文学作家