孫がママの実家に行き
家の中から小さな足音とやわらかい手が消えた
わたしの心の中にもぽっかりと...

庭では一輪の水仙が
寒風にさみしくゆれている

心の穴を埋めるように
花屋さんに行く
はじめて寄せ植えを作った

やはりわたしがつくると
あまり華やかさはないけれど
心の中はすこしだけあたたかくなった

サクラソウウインティーをいれてみた
ライムグリーンの淡い花はかすみ草のよう
ヒューケラのマホガニー色が引き締めてくれる

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さて、孫がいなくなって
一気に「1Q84」を3冊読み終えた

春頃から職場で隣にいる女性から
「1Q84」のことを話題に振られていた
BOOK3も出たことだし・・・と

ネットの世界にはいろんな批評がでているから
そんなことを書くのはやぼだ

ただ宗教の扱い方が興味深かった

青豆を前に「さきがけ」のリーダーは語る
・・・リトル・ピープルと呼ばれるものが
  善であるのか、悪であるのか
それはわからない。
  ・・・・しかし大事なのは・・・
その力がふるわれようとする時、
  そこには必ず補償作用が生まれるということだ。
  ・・・わたしがリトル・ピープルなるものの
代理人になるのとほとんど同時に
  わたしの娘が反リトル・ピープル作用の
代理人のような存在になった。
  そのようにして均衡が維持された。

ふたつの月が象徴しているように
ものごとはすべて合わせ鏡になっているという

BOOK2でこれが語られた瞬間
わたしは大きく呼吸し安堵した

そうして村上春樹個人への興味に移っていった

わたしと同い年
同じ時代の空気を吸い、空間をも共有していたと知った


若い頃よく読んだ
現代海外文学を思い出させる
ノーマンメイラーに影響された人なんだなと

しかし正直なところ、これがノーベル賞候補?

わたしは古典的な人間だから
夏目漱石などの文章を読んでいて
表現の見事さに時々うなってしまうが
この本にはこうした感動はない
表現に巧みさと普遍性がないのだ

春樹の興味があることにはあまり興味がもてない
ジュンコ・シマダのスーツと書かれても
それが何なのかがわからないからだ

やたら細部にわたって服装のことが書かれているが
まあどんなものを着るかで
人がわかるわけではないと思っているので
わたしとしてはあまり興味がもてなかった
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が・・・BOOK3で
1Q84という時間性に入り込んでしまった青豆が
BOOK1の冒頭で
ヤナーチェックの音楽を聴きながら
高速道路の非常階段を

降りた
あのときの服装のままに逆送することで
出口がみつかるのではと
行動を起こす段になってはじめて

それはひょっとしたら
重要なことなのかもしれないと気づく


春樹のこうした書き方を考えていたら
学生時代の知人
早稲田の文学部にいたO君を思い出した

髪を肩あたりまでのばし
なにやらジャケットを着てめかし込んでいたが
わたしにはまったく意味がなかったっけ

ときどき思い出すのは
「どうして小説を書くの」って問いかけたとき
「しあわせになるため」って返ってきたこと

今ならふ~んって思えるのだろうけれど
なぜか意外だった
彼は「DIG5」という同人雑誌をやっていた

芥川賞の候補になったというO君
いつの頃だったか
風の便りに彼が亡くなったと知らされた

もう一度会ってみたいなって思った矢先
わたしと結婚しようって思っていたと
友人に語っていたことを聞いたからだ

そんなことも織り交ぜて
あの時代の学生街の空気を吸っていた
村上春樹に急に親しみが
きっとどこかですれ違っていたんだろうなと
もう「ねじまき鳥」のときのような酷評はできない

もし時間があるならば
学生時代に読んだ海外文学全集を

もう一度読み直してみたいな
今そんなセンチな気分に

と息子がやってきて
「重大な発表がある。聞きたい?」という
やれやれ・・・
名前は聞いたし何だろうって思う
「来週、3人が一時帰宅するので
さやとさとしのことよろしく」
わあ~また大変な日常が・・・

もう猫町で沈没してられない
次の列車に乗り込まねば・・・

むくむくと北陸の雪雲のようなものが現れる空に惹かれ
柴又の対岸の江戸川べりに駈ける

日本海側はここ数年来なかった大雪
富山も例外でなく砺波の映像がいつもニュースで流れる
日本アルプスで落とし損ねた雪雲の残りが
こちらまできているのだろうか

太平洋側の空っ風に吹かれながらふるさとを思い
西の空をいつまでも眺める

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