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画像 作:Ben Mikaelsen

(ベン・マイケルセン)
訳: 千葉茂樹
装画: 瀬藤 優



 

 

 

 

 

 

 

著者:ベン・マイケルセン
アメリカ合衆国の児童文学作家。南米、ボリビアで生まれ育つ。米国西北部、モンタナ州ボーズマン在住。徹底した取材にもとづく作品には定評があり、8作品で30近い受賞をするなど、各方面から高い評価を得ている

翻訳:千葉 茂樹
1959年、北海道生まれ。国際基督教大学卒業。出版社で児童書の編集に携わった後、北海道に居を移し、英米作品の翻訳家として活躍中



装画:瀬藤 優
1976年岡山県生まれ 。2004年、パレットクラブイラストコース7期生修了 。ペーターズギャラリーにて卒業展「メゾンパレット」 。2006年 「第1回みづゑ賞受賞展」中野みづゑ陶芸教室。 巡回展/神戸Gallery Vie・京都SELF-SOアートギャラリー 。2007年 初個展「景色トーキング」恵比寿limArt。第139回チョイス入選。 第1回みづゑ賞「イラストレーション部門」大賞受賞



 この本を読みながら
 たくさんの涙に心が浄化された
 こんなことをここ数年忘れていた

 人はなんのために生きるのだろう
 生きるとはどういうことなんだろう
 読みながら何度も問いかけていた

 読み終わって
 またこれはいまだに
 今日的な問題だと思えた




1922年春 アメリカ、モンタナ州ボーズマン

男の子だったら「ピーティ」と名付けよう・・・。
そう考えていたコービン夫妻に生まれた赤ちゃんは
奇妙にねじくれた体に表情のない頭

赤ちゃんを生むのは3回目
しかし予想もしない早産だった
寒々とした病室で医者の言葉
「あなたのお子さんは障害をもって生まれました」


 
 こんな残酷な言葉って
 あるだろうか
 
 三男が未熟児で生まれ
 黄疸がひどく
 全血交換の手術を受けた日
 わたしは手術室の前で祈った

 退院の日、医者は
 「将来視力が出るかどうかわからない」と
 たとえどうであれ
 わたしの子であることに変わりはない

 人生で耐え難い局面に出会うたびに
 あの日の決意を思い出していた





お金をかけてビュート市の専門医を訪ねても医者は
「お子さんには重い知的障害があります」
「どのようなリハビリを行っても効果があがらないでしょう」
そして専門施設に入れることをすすめられる
母親サラは抗議の声をあげた
この決意をかたくするために
コービン夫妻は町の古い教会でピーティに洗礼を受けさせた


ピーティの母親サラは発作で体が硬直したり
呼吸ができなくなったりするピーティを
二年間、夜もろくろく眠らず育てた

町の人たちはピーティを抱いた母親を避け陰口をきいた

コービン一家はピーティの治療費のために
生活の糧である農場まで手放さざるをえなくなった
そして差別と偏見の目が一家を追い詰めていった

ある日
慈善事業の寄附でもらったぶかぶかの洋服を着た
八歳と十歳の兄たちが言った
「どうして、ぼくたちのことは
ピーティみたいにかわいがってくれないの」

コービン夫妻はピーティをモンタナ州の
「精神病患者収容施設」に
ピーティを入れざるを得なくなった

郡の保健師にピーティを手渡すとき
サラは牧師の言葉を思い出した
「ピーティのようなかわいそうな子を
日常生活や記憶から消し去ることは
死者を埋葬するのとおなじように必要なこと」

スプリングズ精神病患者収容施設の診察室で
「脳性まひもあるな」と医者はクリップボードに
「知的障害。重度」と書きつけた
「どちらにしてもこの子には考える力はありませんし
治療に変更はありません」と看護師は言う
こうしてピーティは小児棟の一番奥のベットに入れられた

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「脳性まひ」は妊娠中から出産直後に
 何らかの原因で脳に損傷が生じ
 運動機能に障害がおこる症状
 決して遺伝ではない

 ピーティが生まれた頃は
 脳性まひについて
 人々は病気を正しく
 理解していなかった
 差別と偏見に満ちて
 それは日本でも同じ



ピーティの人生はメトロノームのような
くりかえしのなかにとじこめられた
ここには生気がなかった
単調なリズムは患者ひとりひとりの魂に染みとおっていく

しかし、だれにも気づかれずに確実に
ピーティの体に変化がおとずれていた

ピーティの目はわずかながら中心によってきて
世界を少しずつひきよせていた

ピーティの面倒をみる看護師はつぎつぎとかわっていった
せいぜい気づくのは
はかなくすぐ消え去る微笑みだけだった


こんな牢獄のような施設の中で
ピーティの心の中には
豊かな感性が育っていった
ただ誰も気がつかなかっただけ

・・・・・・・


遠い日に
全障連の「アパッチ」という女性に出会った

何十年も忘れていた
お盆になっても家族のところに帰れず
施設に残される方たちを
施設から貸し切った一軒家に移し

一夏を大学生のボランティアの人々と
関わって過ごした日々のこと

まる一日をかけてわたしたちは
これからどう生きるべきか
どう関わるべきかを議論した

うまくしゃべることがむずかしい人たちと
議論するのは大変だった
待つ時間の方が長かったから
広い畳の部屋いっぱいに寝そべって
ゆったりと相手の言葉を待った

アパッチはじれて時々身体を揺すっては
いら立ちを隠そうとしなかった

彼女には恋心が芽生えていた
人としての生き方の中に
愛を求める気持ちがあって当たり前
障害者だからと同情だけで
接することは失礼なこと

アッパチの隣には
産んだ子供を抱くこともかなわぬ女性が
母として安らかなまなざしで横になっていた

なのに・・・アパッチの相手は無神経だった

わたしの担当は
目をつむってお話をすれば
知的で穏和な中年の紳士

しかし手も足も胴体にくっついて
子どものような大きさの男性

はじめて紹介されたとき
わたしはドギマギした

あれは1980年
あの時代でさえ
わたしは障害をもつ人々があのように
自己主張できることさえ知らなかった

アパッチの恋はどうなったのだろうか
そんなこんなも思い出させてくれた

すばらしい本だった
ピーティに会いたいと思う

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