メルトダウンを防げなかった本当の理由
                                                  山口栄一


1.はじめに<何かが見逃されている>

 

*謎解きの発端は何か
 原発事故が起きた当初、マスメデアは一斉に原子力という技術そのものに避難の目を向けた。この報道の仕方に違和感をもった。東電の経営者は「想定外」と繰り返し言っていたが、技術者はそんなに愚かだろうか?
「想定」とは国が定めた設計指針であろう。「それを遵守してきてなお防ぎ得ないような事態が発生した」と説明しているわけだ。もちろん言外に「だから責任はとれない」という主張がある。
 では、原子炉の設計に携わるエンジニアもそのような非科学的な判断を共有していたのだろうか。「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という「お上」の方針を非科学的と感じないわけがない。設計指針がビジネス上は絶対的なものであったとしても、実効的には鵜呑みにできるわけがない。エンジニアは全電源がなくてもなんとかなる「最後の砦」をつくっておいたはずだ想定外」を「想定」し、「最後の砦」を準備しておくべきだと考えるのがエンジニアの倫理感というものだろう。

 

*交流電源なしで動く「最後の砦」は存在した
 その想像があたっていたことを知ったのは3月29日のことだった「最後の砦」と呼ぶべき装置がすべての原子炉に設置されていたその装置はたとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働し続けて炉心を冷やすものである。
 福島原発1号機には「非常用復元器(IC)」。これは電源なしで約8時間炉心を冷やしつづけるよう設計されていた。2~3号機には「隔離時冷却系(RCIC)」。これは直流電源で炉心を20時間以上冷やしつづけるよう設計されていた。
 「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然。
これをしなければ、原子炉が「制御不能」になるのは自明。そして「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」にしている間に早く対策を講じなければならない。冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。

 ただ、地震で外部電源がすべて断たれた状況では、その復旧が数時間でできるわけではない。現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかない。
 簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった
なぜか。
二つの可能性がある。
 「最後の砦」は動かなかった。あるいは動いている最中にどこかに穴があいて水が抜けてしまい、努力むなしく原子炉は暴走した。
 もう一つ。東電の経営者が意図的に「海水注入」を避けようとした。理由はある。海水を入れれば、その原子炉は廃炉となり、経済的に大きな損失を被るからである。

 私は、どちらの可能性が真実かを見るために、事故後の公開データを調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化をプロットしてみた。その結果は、1号機の非常用復水器は設計通り8時間稼働、3号機の隔離時冷却系は20時間以上稼働、さらに2号機の隔離時冷却系は70時間稼働していたことを示唆したものであった。

 そこで私は、4月のはじめに論文を書き、日経エレクトロニクスと日経ビジネスオンラインに発表した。どちらもリリースされたのは5月13日(金)。その主張は第2の可能性のほうが正しいというもので、要点は以下のとおり。

 三つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やしつづけた。ところが、原子炉が「制御可能」であったときに「海水注入」の意志決定はなされなかった。よって東電の経営者の「技術経営」に重大な注意義務違反が認められる。

 

*5月15日の豹変

 すると驚くべき反応が二つあった。
 一つ目は、東電自体から。その2日後の5月15日(日)に東電は、緊急記者発表を行った。その内容は・・・
 1号機の運転員が計測した原子炉水位データは間違っていて、実際には原子炉水位は維持できていなかった。しかも11日15時3分以降、非常用復水器系の機能は一部喪失。この機能が完全に喪失していたと仮定して解析したところ、原子炉の水位は、11日18時に燃料棒の頭頂部に到達し、19時半ごろに燃料棒の底部に到達して空焚きになったとの結論を得た。また炉心溶融は11日19時半には始まったとの結論も得た。・・・

 異様な記者発表だった。運転員が計測した原子炉水位データがなぜ間違っていたのか。それについては何も述べられなかった。
 こう勘ぐってみたくもなる。「これまで原発は安全だと主張し、事故後もそれを言い続けてきた」ものの、経営責任を問う論説が現れたので、「原発は、地震と津波で暴走するほど危険なものだ」と解釈されることもやむなしとし、「1号機についてはすぐに『制御不能』に陥ったので、事故は経営者の意志決定の不行使のせいではない」と主張し始めた。もしそうであれば、この記者発表は東電の東電都合による「シナリオの書き換え」であり、その目的は「経営責任の回避」である。

 マスメディアは厳しい検証を加えるかと思っていたら、東電のシナリオをそのまま受け入れ、「仮説」を「事実」として一般の人々に広く認識させるという役割を果たした。

 

 

4.<3号機、次いで2号機はどのように制御不能になったか>

 

 2号機と3号機には、1号機とは異なる「隔離時冷却系」と呼ばれる非常用復水器の進化形の「最後の砦」が取り付けられている。炉心の発熱で発生した蒸気で回る専用タービンを回転させ、その回転でポンプを駆動するシステムであって、非常用復水器よりも持続時間が長く設計されている。この隔離時冷却系はどれくらい動き、いつ物理限界を超えて「制御不能」に陥ったのか。

 

*3号機は、13日2時まで「高圧注水系」が稼働した
 3号機は11日15時5分に隔離時冷却系が手動で起動されている。保安院の報告によれば、津波到来による15時37分の全電源喪失後も直流電源は機能していて隔離時冷却系の運転は継続した。そのため、原子炉水位は4m強に保たれ、圧力容器内は75気圧以内に保たれた。ただし逃がし安全弁が適宜働いて圧力容器内の蒸気を格納容器側に逃がしたため、ドレイウェル内の圧力は1.5気圧から3.5気圧まで徐々に上がっている。

 12日11時36分、ついに隔離時冷却系が止まる。3号機の隔離時冷却系は20時間半動いたということだ。その結果、原子炉水位は少しずつ下がり始めさらにドライウェル内の圧力は、その耐圧3.8気圧を超えて3.9気圧に達した。

 ここで3号機に幸運が訪れた。隔離時冷却系に使用されたものとは別系統の直流電源がまだ生きており、隔離時冷却系停止の約1時間後の12時35分に、その直流電源によって高圧注水系自動起動したのである。高圧注水系の冷却能力は隔離時冷却系の10倍あるので、圧力容器内の水蒸気は急速に冷やされ水になり、圧力が急激に下がって12日19時には10気圧以下にまで、さらに20時15分には8気圧にまで下がる。その後も13日2時まで、圧力容器内の圧力は8気圧から9.7気圧の間に保たれた。

 

*3号機は確実に救えた
  3号機は11日15時5分から12日11時36分まで、隔離時冷却系によって「制御可能」の状態に保たれ、それが止まった後も、ほぼただちに稼働し始めた圧力注水系によって「制御可能」の状態に保たれ続けた。とくに12日20時頃から圧力容器内の圧力は8気圧以下になったので、逃がし安全弁を開くことで、ベント開放することなく消防車による海水注入が可能だった。しかもその圧力は、現場の運転員がリアルタイムで測定しており、それを現場は知っていた。

 しかしながら13日2時44分、高圧注水系は稼働を停止する。その結果、約2時間後の5時までに原子炉水位はなんと-3.5mまで下がり、8気圧だった圧力容器は70気圧を超えてしまう。

 13日8時41分、ベント操作作業が開始されるがなかなか開かない。ようやく約40分後の9時20分からドレイウェル内の圧力が下がり始め、圧力容器への注水が可能になる。こうして13日9時25分、消防ポンプによる原子炉への海水注入が行われた。

 すなわち3号機は12日2時44分から9時25分までの6時間43分、空焚き、つまり「制御不能」状態に放置されたままだった。13日9時25分から海水注入をしたところで、3号機の暴走を止めるには遅すぎた。
 しかもこの3号機のベント開放は福島の人々のみならず東日本の人々を長期的に苦しめ続けることになった。
 13日3時頃までであれば、たとえベント開放しても炉心が溶融し始めていないので、ベント開放で放出されるのは冷却水が蒸発して生じた水蒸気だけだ。この水蒸気はごく微量の放射性物質を含むのみで、ほとんど被害をもたらすことはない。

 ところが13日8時41分以降のベント開放は、炉心溶融がはじまって3時間以上も経っているので、燃料被覆体は破れており核反応生成物であるヨウ素131やセシウム134、などのセシウム137などの放射性同位体がすでに冷却水に漏れ出していた。ここでベントを開けてしまえば、これらが大気中に放出され最悪の事態に陥る。結局、この事態は起きた。福島第一原発を中心とする東日本一帯は、高濃度かつ長期的に放射能汚染されるという史上最悪の結末を迎えた。
  もしも3月12日のうちに、あるいは遅くとも13日2時44分までに、東電が海水注入を行っていれば、この事態は確実に回避できていたはずだ。


*2号機も確実に救えた
 2号機は3月11日14時50分から14日13時までの70時間、隔離時冷却系によって原子炉水位は4mに保たれ、炉心はずっと「制御可能」の次元にあった。圧力容器内の圧力は63気圧以下に保たれており、かつドライウェル内の圧力は12日の深夜まで1気圧程度であって、逃がし安全弁を開ければ圧力容器内の圧力を6気圧以下にすることは容易であった。その後もその状態が続いていた。実際、14日18時03分にその操作がなされた。すなわち14日13時までに、いつでもベント開放することなく消防ポンプによる海水注入が可能であったということである。しかも3号機同様、そのことを現場は知っていた。
  もしも3月14日13時までに、東電が圧力容器の逃がし安全弁を開けて「海水注入」を行っていれば、2号機は物理限界を超えて「制御不能」の次元に陥ることはなかった。そして3号機同様、東電の経営者は「海水注入」の意志決定を確実にできた。しかし彼らは、ここでもその意志決定を行わなかった。かくて2号機からの放射能汚染が追い打ちをかけた。
 
 ところが、2号機が「制御不能」になった14日の夜、東電の経営者の態度は一変する。
なんと清水正孝社長は、海江田万里経済産業大臣に「(制御不能になった原発を放置して)撤退したい」と要請する電話をかけたのだ
 一部の政府関係者および専門家も、撤退やむなしと判断。15日3時に菅総理に伝える。
 しかし、菅は「いま撤退したら日本がどうなるか分かっているのか」とどなりつけ、清水を呼びつけたうえで東電の「撤退要請」を却下。即座に東電本社に乗り込んで、そこに統合対策本部を設置した。15日5時35分のことであった。

 

 

8.<何が明らかになり、何を明らかにすべきか>

 

*明らかになったこと

 ①13日11日15時27分の津波到来の後、非常用電源が壊れ、非常用炉心冷却装置が稼働しなくなったものの、「最後の砦」たる非常用復水器と隔離時冷却系は、それぞれ1号機および2~3号機において交流電源なしで稼働した。3号機では直流電源が生きていたので、12日11時36分、隔離時冷却系が停止したすぐ後に高圧注水系が自動起動して、13日2時44分まで炉心を冷やし続けた。

 ②よって、これら「最後の砦」が動いている間は、原子炉は「制御可能」であったから、その間に「海水注入」を消防ポンプで行うためには、圧力容器内の圧力を消防ポンプの加圧力(6~7気圧)以下にまで下げねばならず、そのためには圧力容器の逃がし安全弁を開けて圧力容器内の水蒸気を格納容器のドライウェルに逃がさなければならない。このときドライウェル内の圧力が、設計耐圧より高くなる場合には、ベントを開放して格納容器内の水蒸気を外界に出さなければならない。
 「制御可能」時のベント開放は放射性物質をほとんど出さない。しかし「制御不能」の次元に陥ってしまえば、炉心溶融のためにヨウ素113やセシウム134,セシウム137などの放射性同位体が発生し、ベント開放によってこれらが大気中に放出される。よってベント開放は、原子炉が「制御可能」の次元にある間になされなければならない。 

 ③にもかかわらず、東電の経営者は、原子炉が「制御可能」の次元にある間の「海水注入」を拒み続けた。1号機で海水注入できなかったのは不可抗力かもしれない。しかし1号機でついに「海水注入」せざるを得なくなった12日の夜、2号機では余裕をもって「海水注入」することが可能だった。しかし彼らはこれを拒んだ。

 ④ついに3号機は、13日2時44分から6時43分まで、空焚き、つまり「制御不能」状態に放置された。13日9時25分より「海水注入」がなされたが、暴走を止めるには遅すぎた。3号機の「海水注入」の時点で、2号機はなお隔離時冷却系が動いていて「制御可能」の次元にあった。それでも東電の経営者は、2号機への「海水注入」を意志決定しなかった。2号機は14日13時頃に隔離時冷却系の稼働を停止する。その約7時間後の19時54分に消防ポンプにより海水注入がなされたものの、暴走を止めるには、3号機と同様、遅きに失した。

 ⑤なぜ東電の経営者は、「海水注入」を拒んだのか。それは一つには彼ら自身がつくった「過酷事故マニュアル」による可能性がある。しかし1号機が未曾有の事態になった後は、可及的速やかに3号機と2号機で「海水注入」を意志決定できたはずだ。しかし経営者は、原子炉の「物理限界」とは何かが理解できず意志決定を怠って、ついに3号機と2号機とを「制御不能」に陥らせた。

 ⑥ゆえに本事故は少なくとも3号機と2号機については、暴走することがあらかじめ100%予見可能だった。よって、この事故の本質は「技術」ではなく「技術経営」にある。
そのため、東電の経営者の刑事責任は極めて重い。


*明らかにすべきこと

 1号機については、まだ事実が明らかになっていない。すでに説明したように現在二つのシナリオが考えられる。
第一のシナリオは、「1号機の原子炉水位計は正しく作動し、かつ非常用復水器は片肺ながら機能して原子炉水位を12日8時まで正に保った」という仮定に基づくもの。
第二のシナリオは、「1号機の原子炉水位計は誤った値を示していた」という仮定に基づくもの。それぞれ問題点をまとめておく。

 第一のシナリオの問題点は大きく三つある。
 一つ目の問題点は、「1号機の原子炉水位の最終値がマイナス1.7mと現実的でない」
という点だ。実際、この点によって、東電、保安院ともに原子炉水位計が正しく動作していなかったとしている。これについては、第三者機関による検査が待たれる。
 二つ目の問題点は、3月11日17時50分以来、たびたび運転員が放射線を1号炉近傍で観測していることだ。たとえば、1~2号機の当直引き継ぎ日誌には、ホワイトボードに<17時50分、IC組撤収。放射線モニタ指示上昇のため 300CPM>という記述がある。また「プラント関連パラメータ」の11日の記述に<23時49分、15条通報9報 タービン建屋で線量上昇 23時 1F1.2msv/h 南0.5msv/h >とある。これは11日のうちに炉心溶融が始まっていた可能性を示唆する。
 三つ目の問題点は、非常用復水器のなかに最終的に残留していた冷却水の量が多すぎるということだ。これも東電・保安院の説明では矛盾が生じる。第三者機関による検査が必要である。

 一方、第二のシナリオの問題点は、「18時に原子炉水位が負になり、21時30分の時点では、炉心損傷がすでに始まっていた」にもかかわらず、21時30分に3Aバルブを開けたのち、何らの異常なく非常用復水器からの「蒸気発生を確認」している点だ。これについても第三者機関による検証を必要とする。


*すぐにやるべきこと

 以上論じてきたように、1号機については、これ以上の判断をするデータがなく、経営責任を問えるまでには至っていない。第二のシナリオを否定する事実も存在するものの、第一のシナリオを否定する事実のほうが多い。
 しかしながら、2~3号機については、東電の「技術経営の誤謬」は極めて明白である。
日比野が官邸にいた3月12日夜(最悪でも13日の2時44分までに)、元菅総理やアドバイザーの日比野の主張した通りに3号機に「海水注入」していれば、3号機は「制御不能」の次元に陥ることはなく東日本の放射線被害も半分以下で済んでいた。2号機についても同様に12日の夜(最悪でも14日の13時22分までに)、「海水注入」していれば「制御可能」にとどまった。よって、東電の経営者の「意志決定」の刑事責任は重い。同席していた保安院委員長、原子力安全委員会委員長も共同責任を問われる。

 いま、私たちがただちにやるべきこと。それは現場での作業員の被曝や放射能汚染に基づく精神的苦痛について、犯罪被害者をはじめとする市民が東電の経営者の「過失」犯罪を刑事告発するとともに、被害者の被った損害を賠償させるべく民事告訴することである。
 第一の被害者は、自らの故郷を追われ、多大な精神的・財産的不利益を被った10万人以上の福島の方々である。全体がまとまって放射能被害のまったくない地域にまったく同じコミュニティーを東電につくらせる権利を保有していることは当然のことだ。そもそも東電から送られてきた「補償金請求書」に書き込む必要はない。なぜなら、東電が被害者に支払うべき対価は「賠償金」すなわち「違法な行為による損害に対する支払い」であって、「補償金」すなわち「適法な行為による損害への支払い」ではないからである。
 第二の被害者は、東電の従業員に他ならない。彼らは、何の罪がないにもかかわらず、社会的に迫害を受け、毎日、わが身にせまる危険におびえながら隠れるように暮らしている。何十年も東電を勤めあげ地域の電力安定供給のために心身をささげてきた従業員は、自分の人生を全否定された思いであろう。しかも福島第一原発では、東電のエンジニアたちは命がけでこれ以上放射性物質がひろがらないように懸命に働いている。彼らこそ東電の経営者を弾劾して自らの名誉回復をする権利を持っている。
 そして第三の被害者は、日本で働く一人一人だ。この事故によって日本は「日本」というブランドをひどく損なった。もしこの事故の本質的原因をきちんと解き明かすことをしなければ、日本は立ち直れないだろうとさえ思う。それ以上に、粉々にされてしまった福島の人々の思いをしっかりと受け止めて犯罪的加害者の責任追及をしない限り、自らの人間性こそが損なわれてしまう。
 福島の人々の問題は、まさに「私の問題」なのだ。まして「犯罪加害者がその罪を水に流され、犯罪被害者が差別される」という苦い歴史を、日本はもう決して繰り返してはならない。

 


9.おわりに<新しい曙光に向かって>

 

*日本型経営の限界を認識せよ

  原発事故が起きてから現在までに、数多くの調査レポートが出版された。わたしが参考にしたものだけで、22篇がある。(省略)
 これらの調査レポートには一冊の本を除いて、ある共通の特徴が存在する。それは、この原発事故の本質的原因が、「最後の砦」の稼働中に「海水注入」の意志決定をしなかったことにあるということを一言も述べていないということだ。例外の一冊とは、齋藤誠の「原発危機の経済学」である。
 同様の現象がJR福知山線事故についても起きている。この事故は、線路設計変更がなされた1996年12月時点で取締役・鉄道本部長であった山崎正夫が業務上過失致死罪に問われていて、神戸地裁(岡田信裁判長)において審理がなされている。有罪を主張するのは私一人であるらしい。
 この二つの事例に、私は「日本社会」の危うさを嗅ぎ取る。
 日本にあっては、会社の経営者とは社員(従業員)が昇進したあげく最後になる職位。日本はボトムアップ型社会なのだから、会社の運営はみんなで、全体でやっていく。だから経営者の役割は全体を調整すること。リーダーシップをとる必要はない。
 そのような空気が、会社経営において支配的ななのだろう。そのため、経営者の下した意志決定(ないし意志不決定)の責任を社会が問う、というコーポレート・ガバナンスの意識が欠落しているのではないだろうか。
 しかし会社経営とは、漆黒の闇夜を手探りで飛行する行為に他ならぬ。突如立ち現れたリスクには、すみやかに意志決定し、ダメージを最小限に食い止める。その意志決定が誤っていた時には、潔く責任を取る。未来はまったく見えないけれど、それでも会社の浮沈を定めるような意志決定を下すパイロットたちを、わたしたちは「経営者」と呼ぶ。経営者には、それをすることのできる胆力が必要なのである。
 福島原発事故で「経営者は『海水注入』の意志決定をしなかったために、原子炉の暴走を『予約』してしまった」ということも、「物理限界を知らなかった」では済まされない。そもそも、自社の技術の物理限界も知らない人間を経営者にすることなど、あってはならないのだ。だから、東電の経営者の不行使に対して過失の刑事罰を問うことは、日本社会を「責任のとれる社会」に変えていくうえで重要な契機となる。

 

*ブレークスルーをしなければ生き抜けない

 なぜ同じ「経営者の誤謬」が繰り返されたのか。それは根源をたどると、JR西日本も東電もイノベーションの要らない会社だからではないか。
 熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。一方、JR西日本や東電は、事実上の寡占ないし独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。
 こうした状況下で、人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときにいかに被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。
 人が創造力や想像力を充分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占企業をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることだ。東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、自らの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。
 その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「地」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。
 それが達成されるまで、独占企業に原発の経営は無理だ。
 実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも二つの原子炉を「制御不能」に持ち込んでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。自らが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。
 さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪が深い。
日比野が教えてくれたように、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている
 何のことはない。事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じだ。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。
 この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。
 電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築き上げる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村には戻れない。それが日本の病だ。
 しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。
 だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現れた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会を共鳴させ、「地の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。