物語の箴言

「部屋にずっと閉じこもっていて、さみしくないのかい?」
「う~ううん、とっても楽しかったわ!百年前のフィンランドに行ってたの。」
「森に囲まれた?湖と川の国フィンランド?」
「そう、そうなの、すてきだったわ!男爵の家にわがままな跡取りがいるの。それがね、ギリシャの歴史を熱っぽく語る家庭教師の先生を困らせるの。」
「それって、今の君の現実かい?」
「嫌みな人ね。ま、いいか。本って不思議よ。読んでいるうちにぐんぐん自分がその世界に入り込んでいくの。はじめはなんだ、わたしと考えが合わないやとか、ちがうよとか叫んでいたのに、いつの間にかそうか、そんな考え方もあるんだねって気持ちになっている。本の中の誰かさんになったように、はらはらドキドキ、落ち込んだり泣いたりしている。」 
「だから、部屋から出てくるとき、君は泣いていたり、さっぱりした顔しているんだね。」
「そうなの、だから今、わたしは百年前のフィンランドから帰ってきたの。すごいことがあったのよ。でもね、わたしがんばれたの。ちょっと強くなったような気がするの。だって、いろんなことを体験したし、いろんな人の生き方を知ったから。」 
 -ね、あなたもそんな旅にでて大人になってみない?

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数年前まで、こんな文を書き散らしては、子どもたちを図書室に誘っていたわたし。そして誰よりも本好きのわたしは、子どもの頃、「図書委員でありながら、図書委員の仕事をなにもしない」と級友から誹られていた。だって誰よりも先に本が読めるから、図書委員になったんだもの。だから、司書教諭になっても、図書委員の子にはいい思いはさせても、仕事をうんとやらせるという発想はなかった。だからかな、子どもたちには主体性があって、次々といいアイデアを出してくれた。

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以前、わたしの部屋は大きな本棚がひしめいていて、その間で小さくなってわたしは寝ていた。で、病気になったとき、押しつぶされるような気がしてつらかった。

今、わたしは子どもが出て行った2階の部屋に移った。もう本棚は置かないって決めた。今読んでいる本だけ、机の側に数冊置くことにした。


この冬、楽しませてくれたのが、上橋菜穂子さんの守り人シリーズ「天と地の守り人」。どこがいいのだろう。
先日、友人に説明しようとして言葉にならないことに驚いた。
ファンタジー物の原点アーシュラ・ル=グウインの「ゲド戦記」の哲学を、作者の上橋さんが誰よりも継承しているような気がして・・・と言った。上橋菜穂子さんは文化人類学専攻の人なので、先住民族や被差別民の視点がどこかにあるような気がする。
また、今日、第2部を読んでいて、なんということもない描写に、ああこんなところがめちゃ好きなんだなってわかった。


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そそりたつ雪の峰に西日があたり、山々が、赤みがかった、やわらかな桃色にそまっている。夕暮れの光のなかで、それは息をのむほどにうつくしい光景だった。
「アラム・ライ・ラ。」バルサがつぶやいた。
「え?」チャグムが問いかえすと、バルサはほほえんだ。
「ヨンサ方言のカンバル語で、山が頬をそめている...って、いったんだよ。母なるユサの山々は、お日さまに恋をしているんだとさ。」


こんななんと言うこともないところがめちゃ好きなんだ。
バルサとチャグムの心の様が手に取るように、こうした状況描写でわかるから。





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今最高に感動しているのが、この「モリー先生との火曜日」(著:ミッチ・アルボム訳:別宮貞徳) 
死を前にしたモリー先生が、語る言葉の一言一言、それは一点の曇りのない真実。「人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」この本を選んで、わたしにプレゼントしてくれた友人のあたたかい思いを知る。